初めての不妊治療7


泌尿器科の診察が終わったころ、


だぃちゃんは


迎えに行きます


と言ってくれたが、


お仕事抜け出して来てもらうのは大変なので、


母親と大塚から自宅マンションまでタクシーで帰った。



一般道を高速のようにぶっとばす

強面の運転手だったが、


母親と話すと楽しそうにしていた。


西川口にくると、


仲間が近くの猫橋に住んでいるんすよ!


これから行ってみようかな。


などと言っていた。


なんだか嬉しそうだった。



自宅マンションで

パジャマやパンツ、薬、DS、コンタクトを準備し、


母親と父親の車で実家に帰った。


父親は心配顔だった。


そりゃそうだ。


今朝、急病で運ばれてはじめて娘が体外受精してたことを知ったから。


でも私に何も言わなかった。




実家に着いたら


レオが玄関に寝てた。


いつも寝ている。


レオは余命宣告されてからもう2回目の夏を迎える。


目は見えないが鼻はきく。


さすがわんこだ。


私が帰ってきたのはわかったかな。



居間に行くとかつまたが隠れていた。


もう何回も会ってるはずなのに


家族に対しても母親以外は


一定の距離を置く。


私を横目に確認しながら、


母親に


にゃにゃー!


とスリスリした。 



月曜から木曜まで実家で療養することになった。


パジャマに着替えて


2階のベッドに横になった。


懐かしい畳の匂いだ。


結婚するまで


この部屋で過ごしていた。



かつまたは夜必ず2階に上がってきた。


ベッドまわりを巡回しに来るのだ。


巡回のついでに

ダンボールを引きちぎって、


ひと暴れし、


毛づくろいをし、


眠り、


何もなかったように


1階に降りていく。


だいたい2時間くらいはいた。


1階にいると


酔っぱらった父親が追いかけてくるらしい。


だからここにいることは


秘密だよ


と目でウインクしてきた。



あとは


私が朝、

寝ぼけまなこでうんちをし終わると、


扉の外などで待ち構えていた。


まさかいると思わないし、


寝ぼけていたので、


あああ!!


と驚いて大きい声を出す私を


迷惑そうにみていた。


お風呂もいつのまにか


覗いていた。



髪を乾かすためにドライヤーしているときも、


トコトコやってきて、


ずっと風になびく私の髪を


ガン見していた。



おなじ、おんなってわかるのかな。


  


たまにレオくんと鼻を合わせて


ちゅんちゅん


とするらしい。


何の会話をしているんだろうか。




一週間近く、


毎晩父親が収穫した野菜を使った母親の手作り料理を食べ、


かつまたに覗かれながら風呂に入り、


のんびりした。


お腹に違和感はあったが、


だんだんと良くなり、


金曜のお昼過ぎ、


自宅マンションに帰った。


金曜はだぃちゃんは帰って来れなかった。


深夜、また腹痛が気になったが、


だぃちゃんと電話して、


森三中の動画を見て、


明け方寝た。




土曜の昼は、


培養液の中にいる残り5つの受精卵の成長具合を確認する電話を


クリニックにかける日だった。


培養士さんに確認したところ、


2つは成長が止まってしまい、


1つは最後まで成長したが、

とても小さい。


結局、凍結保存出来たのは2個だった。


胚盤胞という受精卵の最終段階に行くのは、


3割と言われているなか、


とても平均的な数値だった。


でもちょっとさみしかった。


6対6でカップルになったけど、


カップルになったあと、


力尽きてしまった卵達もいたんだなあ。


なんだかぼーっとしながら、


たらこスパゲティを作って、


TVの再放送を見ながら食べた。




8に続く。