初めての不妊治療5


名前、生年月日を確認後、


手術台に上がり、


また足をマジックテープで固定された。


子宮を消毒する。


その後、シュルシュルと細長いカテーテルが子宮に入っていく。


針ではなく、カテーテルなので


我慢出来る痛さだ。



カテーテルを通してから、


培養室から受精卵が届いた。


手術ギリギリまで培養して、


私達の受精卵は6分割していた状態になっていた。


顔の近くのTVに顕微鏡で拡大された受精卵が写し出される!



たまこちゃん仮よ。。



たまこちゃんはスポイトにすぽっと吸われた。



培養士さんが、

培養室からマイクで、



松井さん!6分割です!

移植開始!!



と叫んだ。



私は名前を呼ばれたのと、

あまりの迫力に、なぜか、



はいっ!!!!!!



とお返事をしてしまった。


先生に言っていたらしい。



先生が、



子宮内膜14ミリ!

いくよー!!

妊娠しちゃってー!!!!!!



と叫びながら、


受精卵をカテーテルに入れ、


私の子宮の奥に移植した。



その後はまたリカバリールームに戻り、


安静。


手術後に分割したたまこちゃんの写真と、


子宮内膜にいるたまこちゃんの様子のエコー写真をもらった。



ベッドで寝ている間、


眠らずに、



ずっと、たまこの写真を見ていた。


今、お腹にたまこちゃんがいるんだ。


だぃちゃんと私のたまこちゃんよ。



どんどん分割して、


私の子宮内膜のベッドにどうか、


居心地の良い場所を探し、


くっついてください。






針で刺したりはしていないので、


回復が早く、


速やかに待合室に戻った。



培養士からは、




残りの5つの受精卵は、


このまま培養液に入れ、


最終段階まで分割させます。


そして次回移植に使う為に、


最終分割までいったものは凍結します。


途中で分割が止まり、


生き耐えてしまうものもいるかもしれませんが、


それがわかるのは一週間後です。



残り5つの受精卵については、

また一週間後お電話ください。




 とのことだった。



先生からは、



採卵手術で針を何カ所か刺しているから、

子宮が腫れます。

安静にしてね!


ウォーキングとかあんまりしないで、


もうこれからずっと安静!


宴会禁止!



じゃあ頑張ろう!



と励まされた。



帰りはまただぃちゃんに送ってもらい、


なんだか意外と元気だなあ


なんて思いながら、


夜はたまこに話しかけながら寝た。



次の日の朝6時。



私は激しい腹痛で目を覚ました。



 


だぃちゃんは早くに出勤してしまっていて、


一人だった。



ベッドで七転八倒して、



尿が溜まっている感じがしたので、



はあはあ言いながら、



トイレにかけこんだ。



トイレで、おしっこはほとんど出ず、



おしっこをチョロっとした途端、



さらに激しい巨大な針で下っ腹をグサっと思い切り刺されたような


痛みが走った。



同時に目が周り、


視界がボヤけ、


寒気に襲われた。



トイレも流したかわからないまま



ハイハイでベッドに戻った。



バケツで水をかぶった量くらいの冷や汗がガンガン出てきた。



呼吸がし辛い。



苦しい。



6時だから、近くに住んでいる両親は目を覚ましているだろう。



ただこんな時間に母親に電話をかけたら、


父親がびっくりするのではないか。



父親には、



体外受精のことを言っていなかった。



あえてだ。



うちの父方の親戚は、


不妊に理解がない。


子供がなかなか出来ないことを



なんの悪気もなく、


言葉に出す人もいる。


昔の人は子供をたくさん産んだから、


しょうがないと思うが。


そんな理由と、


極度の娘心配症


ということもあり、



母に、父親には内緒にしてもらっていた。



本当に経験したことがない鋭利な痛みだった。



はあはあ



息をなんとか吸いながら、


とりあえずだぃちゃんに電話をかけた。



状態を伝え、




お母さんに行ったら、お父さんびっくりしちゃうかな?


と聞いたら、



今はそんなこと考えちゃだめだ!

命にかかわることだよ!

俺もすぐそっち戻るから、

その間お母さんに来てもらって!



と言われた。



そうだよな、このまま最悪死んじゃったら、


元も子もないよな。


と思い、


母親に電話をしたら、


10分後、父親の車ですっとんできてくれた。

 



6に続く